閲覧席について
皆さまこんにちは。お久しぶりです。日々必死で過ごしているうちにあっという間に1か月が過ぎてしまいました。お元気ですか?最近は連勤もあり天気も安定しないのでやたらと眠いです。冬眠の季節ですね。。眠い時は無理せず寝るようにしています。
さて今回は前回書けなかった閲覧席について思うことを書いてみたいと思います。
閲覧席とは図書館の資料を閲覧するための席で、机があったり椅子だけだったりしますが、たいていの図書館には貸出不可で館内で閲覧するだけの「参考資料」コーナーというのがあり、机があって申込制になっています。そこのことを特別に「閲覧席」と呼んでいたりもします。
さて、この閲覧席。本来は図書館の資料を読むための席なのですが、ここに図書館の資料を全く使わないで席を利用する人たちがいます。そう、受験勉強や自身のための何らかの勉強をする人たちです。
図書館界では昔から(?)これが問題になっていました。
「受験生への席貸し」などと言われ、図書館資料を使わない人が席を使うことは批判的に言われてきました。
個人的には長らく受験生やうちでゆっくり勉強する環境がない人などが静かに集中できる環境である図書館の席を利用するのになんの問題があるのだろうか、と思っていました。
特に公共図書館は公共の施設でもあるのだから、市民のニーズに応えることも重要な役割ではないのかと。世間には受験が存在しているのに色々な理由で自宅で勉強出来ない人が図書館で勉強できなかったら他に行く場所はないではないかと。
他にも資格試験の勉強をしたい人が家だと気が散るから集中しやすい図書館で勉強したいと思う気持ちも理解できます。
しかし、現在の館に勤めるようになってから、確かにこれはいかがなものかと思う場面が増えました。現在の館の運営の仕方に問題があるのだと思いますが、館内の閲覧席が自分の勉強をする人でいっぱいになってしまうと図書館の資料を閲覧したい人のための席が全くなくなってしまうことがあるのです。
現在の館は閲覧席はありますが申し込み制でも時間制限もなく、いったん座れば実質一日中でも使っていられます。
それだけだとあんまりですが一応対策はあって、混み合う休日には一部「閲覧専用席」を設けて係員が見回り自分の参考書のみで勉強をしている人には注意をしています。
しかしここに抜け穴があります。
明らかに勉強をしていても1冊でも図書館の本が置いてあれば声掛けはしなくても良いことになっているのです。なぜかというと使っているかどうかは本人にしかわからないから、ということになっています。
問題は最初からカモフラージュのつもりで図書館の本を1、2冊前に置いて自分はずっと勉強やらパソコンやらをして声掛けを免れている人がいることです。こういういわば「世渡り上手」なずるい人たちに席を占領され他の正直な人達が脇に追いやられている事実があるということです。
私は声かけるときはかけますし、入ったばかりで中年男性にかなりお怒りのクレームを入れられこういう時にはどうするのかわからず困惑していた時には先輩が声掛けしてくれました。しかし普段はほとんど声掛けはされていない状態です。
声掛けにはこちらの時間的制約や心理的なハードルの高さもあるからです。
1年契約の嘱託なのに逆切れされて何されるかわからない危険を冒してまでそういう人すべてに声掛けしようと思う人は少ないでしょう。誤解だと怒られて気まずい思いをするかもしれませんし。
私が気になるのは、こういう環境を盾にとってうまく嘘をつき他人を蹴落としてまで自席を確保し受験勉強に勤しむ人達が将来いい大学、いい企業とか官公庁とかに入り世の中を動かす社会ってどうなのか、と思ったことです。
この人達は確かに学校の勉強は出来るかもしれない。世の中を要領よく渡ることもできるかもしれない、っていうか出来るでしょう。でも人間として何か大切なことが欠落していませんか、ということです。倫理とか、コンプライアンスとかいったことです。
正直こういう人達に良い国、自治体、企業運営やらが出来るとは思えません。
やりきれない気持ちになるのはこういったある種無法地帯的な場所においては「正直者が馬鹿を見る」といった結末になりやすいことです。
たとえば机に参考書とノートしか置いていなくて声掛けされて素直にどいてくれた人がいます。
しかしその5分後にはやったラッキーとばかりにパソコンを持って座る人がいたりします。カモフラージュ用の本を持って。
前の人はそのあと使える席を探して館内を彷徨い、見つけられずに諦めたかもしれません。しかし後から来た人はぽんと1冊図書館の本を前に置いたためだけに声掛けを免れ堂々と席を使い続けるのです。
こういうのを見ていると本当にこの図書館の制度、この社会ってなんなのか、と思います。学歴とか有名企業の肩書とかだけで測られる社会ってなんなのかって思います。
いや、時代的にはもうそういう時代ではなくなってきているとは思いますが。
以前いた図書館では参考資料のある参考室の閲覧席は申し込み制でした。
もちろん基本的には図書館の資料を読むための席ですが空いていれば実質中高生などの勉強は見逃していました。クレームがあれば声掛けしますし聞かれれば「勉強はできません」とお答えします。そして同じ建物の中にある勉強オーケーな「フリースペース」という場所をご案内します。
しかし座ってしまった人をわざわざどかせることまではしていませんでした。
それでもそんなに心がざわつくことはなかったのは、混んできたら2時間制という決まりがあったからだと思います。
空いていればずっと使っていてもいいけど次に使いたい人が来たら2時間たった人は替わってね、という仕組みです。なので堂々と交替を頼むことが出来ました。
これなら多少の不公平感はあるけどそこまでの理不尽さは感じません。
こちらの心理的ハードルもそんなに高くはありません。
しかし今の館はなんせ最初に席をとったら何時間でも勉強で占領可です。
土日や受験前やテスト前は朝は席取り合戦です。開館と同時に館内を走って席を取りにいく人多数です。ここでも体力勝負というか、完全に若者の勝利ですよね。お年寄りはまず無理です。男女差や体力差もあるでしょうし。強い者、ずる賢い者のみが勝つ論理です。
図書館資料を読みたい人は脇に追いやられています。
色々と理不尽さを感じます。
私達ももちろん声をあげてはいます。
しかし私が考えていた前館方式の「申し込み、2時間制」はまず嘱託の段階で「人数的に無理」と却下され、他の人が唱えた異論にもちょっと前の職員会議で「現在の体制では人数的に無理」という理由で改善することは却下されました。
やってみればやれないことはないと思うのですがね。実験的にやってみる手もありますし。しかし職員さんは嘱託よりぐっと人数が少ないため一人ひとりが忙しく日々やることに追われているので特にそんなに大きな問題になってもいないことにそこまで時間をとって考えられないのでしょう。この辺はお役所的なものも感じますが。企業もそうかもしれませんが大体どこも大きなクレームがない限り動きませんね。
イチ嘱託職員である私に決定権などないので理不尽さを感じつつ今日も見回る日々です。
しかし諦めずに声をあげていこうとは思っています。
私の他にもこのようなことを感じている嘱託職員はいるので。
採用する方にはどうか試験の成績だけではなく面接でこのようなことをする人を見抜いていただきたいと思います。
そして政府や自治体の方にはどうかこのような事実を知っていただき公共の勉強スペースを増やす方向で動いていただきたいと思います。
ではでは今回はこの辺で。